先日、主治医の先生からおすすめされた本があります。
「あなたみたいな人のことが書いてある」と先生がおっしゃるから早速読んでみました。
人生のバイブルにしたいと思うほど素晴らしい本に出会えたと思っているのでぜひご紹介させてください。
誰かのために生きるのではない
私っていつも気持ちが満たされたことがないんです。
子供の時からそうなんです。
わたしって幸せなはずなのに幸せを感じられない人間なんです。
なんでだろう?と思いながらも、もうこれは私の性格だと思って諦めていました。
でもこの本を読んでその原因に気づくことができた気がしています。
それは私が、いつも誰かの顔を伺って誰かに認められることに必死になって生きてきたからなんですきっと。
どういうことかというと、誰かの期待を満たすために、誰かにがっかりされないために、誰かに認めてもらうために、自分のキャパを超えてこれまでやってきました。
ところが、私が追い求めてきたそれはこの本の中で「承認欲求」という言葉で表現され、その「承認欲求」は完全に否定されます。
本書の中で筆者は、「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない、他者の期待など満たす必要はない、というのです。
つまり、他者からの承認を求め、他社からの評価ばかりを気にしていると、最終的に他者の人生を生きることになるのだと。
ドキッとしました。
いつもニコニコして人の顔色ばかり伺って自分を少しでもよく見せようと無理してきた私には衝撃の言葉です。
普通である自分を受け入れる勇気
自分の力以上のものを出そうと頑張ると人間って疲れますよね。
けれど、社会に出れば日々成長が求められますから、人は目標に向かって努力することが当然であるという社会の共通認識みたいなものがあるかと思います。
ところがこの本は、そんな共通認識も一蹴してしまうんですよ。
必ずしも人生に大きな理想や目標を掲げて生きる必要はない、というんです。
「普通であること」は、「無能であること」ではないのだと。
そして、それは怠慢なんかではなく、特別ではない「普通の自分」を受け入れるというだけのこと、だと。
自分の力を超えて、人よりも優れようと自分の力を誇示する必要などなく、ありのままの自分でいいのだと言ってくれています。
特別ではない「普通の自分」を受け入れる勇気を持つことができれば、世界の見え方は一変する、と。
なんだかもう泣けてきます。
「自己肯定」ではなく「自己受容」
私は自分で「自己肯定感」が低いことを自覚しています。
つまり、自分に自信がないんです。
そうやってこれまでずっと生きてきました。
けれど私に必要なのは「自己肯定」ではなく「自己受容」だったんです。
※「嫌われる勇気」より抜粋
【自己肯定】
⇒できもしないのに「わたしはできる」「わたしは強い」と自らに暗示をかけること(=自分に嘘をつく)
【自己受容】
⇒「できない自分」をありのままに受け入れ、できるようになるべく、前に進んでいくこと(=自分に嘘はつかない)
つまり、自己受容とは、ありのままの「このわたし」を受け入れ、変えられるものについては変えていく「勇気」をもつこと、だと言うんです。
そして、私たちは、自分の中にある「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極める“肯定的なあきらめ“が必要であると。
無理して自分を肯定しようと焦る必要はなかったんですね。
また、「(自分に)何が与えられているか」について変えることはできないけれど、「(自分に)与えられたものをどう使うか」については、自分の力によって変えていくことができる、と筆者は言っています。
わたしが考えるに、おそらくそれは、自分にないものを欲しがることは無意味である代わりに、自分に与えられたもの(環境)の中でいかに上手に生きていくかは自分の力で操作することができる、ということなのではないでしょうか。
これまでの人生を振り返った時、自己肯定感を得るために躍起になるのではなく、「できない自分」を受け入れるという自己受容ができていたとしたら、私の人生は今と何か変わっていたのかな?なんて考えてしまいます。
「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てて生きるということ
書の中で筆者は、人生とは「今」という刹那の連続であり、私たちは「いま、ここ」にしか生きることができない、と述べています。
つまりどういうことかというと、人生を登山のように考えてはだめだと言うんです。
人生に目標をかかげ、死を迎えるまでの一生を「線」として捉えてしまうと、人生の大半を「途上」と見なしてしまうことになる、と。
人生は点の連続であり、計画的な人生など不可能なのだと。
そして、「いま、ここ」にスポットライトを当てて生きるということは、いまできることを真剣かつ丁寧にやっていく、ということであると。
人生を線だと見なし「いま、ここ」を発展途上と捉えるか、それとも、刹那の連続として捉えるかによって人生の見え方はまったく違うのもになるというんですね。
計画的な人生など不可能で、私たちは「いま、ここ」でしか生きることができないというのですから、今を生きるしかありません。
「いま、ここ」に過去も未来も関係なく、過去や未来は「いま、ここ」で考える問題ではないというんですから勇気づけられます。
最後に
あとがきの中で筆者は「様々な場面でのあなたの決心を後押しすることができれば、幸いです」とメッセージを残されています。
そして間違いなく私は本書によって後押ししていただいた一人です。
先月長年勤めた会社を退職し、自分が社会から切り離されてしまった不安と焦りを少なからず感じていました。
これまで私は、決して優秀なレールではないけれど、なんとなく「こうあるべき人生」を思い描きなんとかレールの上を走ってきたんですね。
それがレールを降りることになった。
その途端に「今後どうあるべきなのか?」「今後私は何を頑張るべきなのか?」「私の目標は何なのか?」そんな疑問や不安が押し寄せてきました。
でもこの本はそんな不安を一蹴してくれました。
人生に「こうあるべき」なんてなくて必ずしも何かの目標に向かって生きる必要などない、と言うんですから。
「いま、ここ」を真剣かつ丁寧に生きればいいのだ、と。
そして、人生とは、他の誰かが変えてくれるものではなく「わたし」によってしか変わりえないもの。
つまり、自分の人生を幸せな人生とするかは、未来や過去に縛られることなく、他の誰でもない自分自身で決めることができるということなんですよね。
うん!うん!
これまでの私なんて関係ない!これからの私を好きになればいいんですよね。
「いま、ここを生きる!」べく、「いま、ここ」にある子供たちの寝顔に感謝して、今日一日を終えたいと思います。
長くなりましたが、最後まで読んでいただきましてありがとうございました!